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ぶっきょうFAQでは、みなさんから寄せられたご質問を順次掲載します。
ご質問はこちらからどうぞ。
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法要の申込みはいつ頃までにしたらよいのですか? |
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まずは、電話でご相談下さい。 |
各家の年忌予定表は、毎年12月発行の「りゅうげん」に記載されています。法要の方式(お昼を召し上がるかどうか)や参拝者数により、翌日でもお受けできる法要もあれば、準備期間を要する法要もあります。 |
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都会地に住んでいます。葬儀や法事はどうしたら良いのです? |
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檀家さんである限り、住職の勤めです。出向いたします。 |
現在は、いくら離れていても国内である限り、葬儀や法事をご希望により出向いてさせて頂きます。海外にお住まいの場合は、前もってご連絡下さい。
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葬儀や法事の布施の額は? |
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取り決められた額があります。 |
お布施は住職個人に納めるものではなく、お寺に納めるものです。従って、長福寺のお布施は一年間の経費を元に算出されています。みなさんにとっては高額に感じられる方もありましょう。
まずは、ご相談下さい。貴家にご無理のないよう心がけます。
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おしょうさん、施餓鬼の焼香順序ってどうやって決めているの? |
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方程式があります。 |
毎年8月14日に行われる施餓鬼会(せがきえ)は、お寺の一大行事です。一軒一軒のそとばを用意し、お一人お一人に焼香を頂いています。その焼香順序は、最初に呼ばれる人1時間も待たされる人それぞれです。
焼香順序が遅い方から、こういったご質問を頂戴しますが以下のような方程式があります。
1,責任役員
2,新盆
3,金額
4,受付日時
上記をそれぞれ昇順にソートしたものが焼香順序となります。なお、施餓鬼受付は7月1日から8月5日までとなっています。
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長福寺はなぜ拝観謝絶なんですか? |
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信仰の場だからです。 |
長福寺は「拝観謝絶」です。
ただし「参拝禁止」ではありません。
もちろん檀家のみなさんは、自由に出入りができます。
何の信仰心もなく、ただ「物見遊山」の人たちに入山して頂きたくないのです。
第一、観光の方々に胸を張って公開できる宝物がありませんし。
それが私の長福寺をお守りする信念です。
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おしょうさん、なんで戒名に上下の差があるの? |
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檀家制度の弊害なんです。 |
葬儀が発生したお宅に配布する「お布施について」から文面の引用です。
皆さん方は、お寺のお布施がたいへん高額なのに驚かれる事でしょう。私自身が、お布施をする立場であったらそう思います。お布施は、釈迦の時代に僧侶へ対しての法礼として衣や着物を作るための布を僧に施したことから「布施」と呼ばれるようになりました。仏教的には「布施」は行為なのですが、現代では僧侶への御礼の金品を指すものとなっています。江戸時代に興った「檀家制度」というものがあります。これは、各戸が特定の寺院の「檀家」として代々を葬り、その供養をお願いするかわりに、寺院の護持を率先して行うことが基本となっています。そして本来「平等」を説いているはずの仏教には、戒名による格差があることも事実です。これは、檀家制度の副産物で寺院護持の度合いを慮る物差し代わりにもなっています。元来戒名による格差は、ご本人の家族への奉仕度・社会への奉仕度・寺への奉仕度を尺度として生じるものと考えており、世襲されるべきものではないと考えています。また現代の在家仏教生活の中では寺院への目に見える奉仕(例えば生前に、良く境内掃除をして住職を助けたなど)ということは、残念ながら難しい事となっております。したがって、葬儀のときに納めていただく布施の額によって戒名の上下が生じて参ります。現在、私ども長福寺は年間の寺院維持費はかなりの額になります。みなさま方から納めていただいたお布施は、すべて寺院維持費として使用致し、お寺を守らせていただいております。もちろん、その中には住職や寺族の給与も含まれておりますが、それは全体の5分の1です。いまだに「坊主丸儲け」と思われている方が居られる事に、無念さを感じますが、「お布施は、住職個人に支払うものではない。葬儀が出来たときに、私たちのお寺を守っていくための大切な資財を納めているのだ。」というお考えでお納め頂ければ有り難く思います。檀家数280軒の長福寺では、葬儀をはじめ各法要の布施の額を年間の必要経費から換算して決定しています。したがって、他寺院の布施の参考にはなりません。もちろん「我が家にはたいへん負担である。」という方々とは、充分なお話し合いの上、相談させていただきます。私自身も、皆様方へ平等に戒名を授与致したいところですが、寺の維持のため断腸の思いで戒名による「格差」を付けさせて頂いております。
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おしょうさん、俺の考えた戒名を使ってくれや! |
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ある一定の法則に当てはまれば条件付きで使います。 |
あるお宅の枕経でのこと、喪主から「おしょうさん、妻の戒名は俺が考えてあるからこういう戒名にしてくれ。」とメモを渡されたことがあります。戒名は、生前に仏教徒として菩提寺和尚から授戒されるのが普通です。これは、ブッダの直弟子であるという証明です。しかしながら、現在は本人の死後に与えられることが通例となってきてしまいました。自分がどんな戒名になるか知らずに死んでいくなんて、ナンセンスでしょ?
さて、本題に戻りますが戒名にはいくつかの法則があります。でたらめに漢字を並べ立てたら良いというわけではありません。ですからせっかくお考えになっても、以下の法則に当てはまらなければボツになってしまいます。名前は長く使ってもせいぜい100年、戒名は永劫です。自分の気に入った戒名を授戒するということは大切なことだと考えます。以上のような理由からおしょうさんと良く相談の上、生前戒名を強くお勧めいたします。
以下は、通夜の時に喪主・遺族に配布する文面からの抜粋です。
戒名のおはなし
戒名=法名はもとより生前入信したときに与えられたが、在家の男女が死後、僧から法名を与えられることが行われるようになり、これをも戒名とよんだ。この種の戒名は、日本では中世末期ごろからみられ、近世の檀家制度のもとで一般的となり、戒名といえばこの死後授与の法名を指すようになり、むしろ法名・法号は出家の戒名を意味するようになった。さらに戒名の下に、男性には居士(こじ)・禅定門・信士,女性には大姉(だいし)・禅定尼・信女、子供には童子・童女などの号をつけ、戒名の上に院号・院殿号を冠することも行われ現代に至っている。
戒名のきまり
戒名は、やみくもに漢字を並べただけでは成り立たない。すなわち、四字のうち第一字と第二字は熟語をなし、第三字と第四字も熟語をなす。さらには、第一字と第四字も熟語をなし、全体が整ってなければならない。
故田中 ○○さんの戒名について
智徳院貞室妙鏡大姉
(ちとくいん ていしつみょうきょう だいし)
* 智徳 智恵(仏教語)を以て徳となす
* 貞室 ○○さんの奥様 真心を持つ女性の意
* 妙鏡 人生の鏡 これ人間の模範なり
* 貞鏡 貞女たる鏡の意
右 生前授戒(平成五年十一月 先住職文隆和尚より)
長福比丘 雅龍合掌 |
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「清め塩」の使い方を教えてください。 |
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お料理にでも使ってください。 |
いったい何のための「清め塩」なんでしょうか?
仏教的な儀式ではなく、土着的な儀式だと思います。
私たちの仏教の教えでは、死とは必至のものと考えられています。ですから死は不幸であっても「けがれ」や「いまわしいこと」ではありません。しかしながら、我が身のことともなると「死」はできるだけ距離を置きたいものでしょう。
身内の死・知人の死・葬儀とは、出来るだけ距離を置きたい「死」というものが私自身にもいつかは必ず訪れるものである事を再確認し、リミットのある人生を一生懸命に生き抜く新たな誓いをせよとのメッセージを事実として真摯に受けとめる機会なのです。
私たちに重要なメッセージを送って下さる亡き方々の清らかな姿に接することが出来た後、それを「清めて(?)」しまったら「意味ないじゃーん」になってしまいます。
もし仏教的に「清め塩」を解釈するとしたならば、私たちに重要なメッセージを送って下さる清らかな姿と対面する前に、濁世で汚れた私たちを清めるためにお宅か式場入口で清め塩をお使いになって入場して下さい。
式場出口や、お返しビール券などと一緒に入ってくる塩はお料理にでも使って下さい。
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葬儀の後、四十九日法要まで済ませたいのですが。 |
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せめて三十五日までは忌引通りのお供養をしてください。 |
木曽福島では、一昔前は葬儀の翌日に四十九日法要をするのが一般的でした。
それは、まだ交通の便が良くない時に住職が泊まりがけで自宅にて行う葬儀に出かけた時、また四十九日目にそのお宅へ出向するのが二度手間と考えられていたので、寺側の一方的な理由によってそういう悪習慣が浸透してしまったと考えています。
四十九日間のお供養・四十九日の意義をもう一度考えてください。
仏教では魂には四つのステージがあると考えられています。
1,母親の胎内で精子と卵子が結合した瞬間。(生有)
2,母親の胎内で育ち、生まれ、生き抜き死ぬまでの間。(本有)
3,死の瞬間。(死有)
4,死後から次のいのちを得るまでの間。(中有)
4の中有という期間には49日の日数が必要と考えられています。これが四十九日間のお供養の意味合いなのです。すなわち、本当に魂が生まれ変わるとしたら生きている私たちが亡くなった方に対して、また私たちの近くで新しい生命を宿せるようにとお祈りする大切なステージなのです。
私の知人にAさんがおられました。Aさんは、旦那さんと二人の小学生の男の子と幸せな暮らしをしていました。趣味の集まりで良くお酒も一緒に飲みました。ある酒席でAさんは私に四十九日の意味合いを聞いてきました。私は酒席には相応しくない話題に少しビックリしながら上記のような説明をしました。そして、その数ヶ月後そのAさんが不治の病にかかっていることを知りました。
Aさんは、力の続く限り在宅療養にがんばりました。そして、遂に全身の痛みと体力の限界を覚って自分から入院を申告します。入院の朝、いつも通りに子供達を学校に送り出し病床の人となりました。病床に付くとAさんは旦那さんにお話をされます。「私たちの住んでいる地域では、お葬式の翌日に四十九日法要を済ませてしまう。だけど、私が死んだら地域の習わしに反するかも知れないけれど四十九日目に法要をしてください。だって、私のいのちは四十九日経たないと次のいのちに生まれ変われないんです。私は生まれ変わってもあなたや子供達を遠くからでも良いから見守っていたいの。だから、お願いね。」これが、Aさんの遺言となってしまいました。その二日後に亡くなられてしまいました。本当に家族と一緒に居たかった、そしてこれからも家族を見守って行きたい。そんな峻烈なAさんの心を思うと今でも涙が出ます。
生きている人々が、亡くなった方をお供養するのは当たり前ですが亡くなった方もきちんとお供養して欲しいのです。それを、生きている人だけの都合で葬儀の次の日に繰り上げ供養するのは忍びがたいことです。確かに遠方から参集された親族もおられましょう。ですが、この地球上で片道二十四時間以上かかる場所はそう多くはありません。ましてや、国内なんて「遠方」などという地域はないと思います。
四十九日法要だって、親類縁者全員そろってお参りしてくださいなどとは申しません。ごく近い方々だけで結構です。親や兄弟の四十九日法要くらい、改めて出直す心がけをしてください。
当、長福寺では新盆などの都合以外の三十五日以前の繰り上げ四十九日は致しません。
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おしょうさん、位牌に書いてある仏さんの年齢が違うよ? |
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数え年で過去帳に登録します。 |
新しい仏さまには、葬儀の時に白木の位牌をお作りします。そこには戒名・没年月日・俗名・年齢が記されています。
「年齢が違うよ」とクレームを付けられる方がおられます。位牌には「数え年」を用います。それは、生後年月を常用する現在では奇異に感じられる方もあられましょうが母親の胎内で生きていた10ヶ月間も仏教で言う「本有」でありますから、胎内での成長期も含めた年齢「数え年」を採用させて頂き、過去帳にもそのように登録させて頂きます。
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もうすぐお盆です。お盆の意味を教えてください。 |
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ブッダの弟子の体験から始まりました。 |
ブッダの直弟子に、目連尊者という方がおられました。餓鬼道に墜ちてしまった母親を救おうと多くの僧侶に布施をしたことから始まった行事です。
平成11年の「りゅうげん」夏号に掲載された、木曽福島在住の田原さんのマンガをご覧下さい。
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長福寺で使うお経の本を見せてください。 |
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PDF形式でご覧下さい。 |
良く、お経の本を譲っていただけませんか?と言われます。現在使用しているお経本は、檀家さんからのご寄付です。お譲りすることはできませんが、PDF形式で保存してありますのでご覧下さい。なお、お経の本をご覧になるにはadobe社のacrobat
readerが必要になります。お持ちでない方は、コチラをクリックしてダウンロードしてください。
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おしょうさんは、1年365日毎朝お勤めをするのですか? |
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できるわけないでしょ!(毎朝という言葉に限って) |
良く聞かれる質問です。
おしょうは極力するように努力しています。でも、出張や体調不良の時は出来ませんし葬儀の時は本尊さまが祭壇で隠れてしまうので、本尊回向は省略しています。厳しい修行生活の中でも「大四九」(おおしく)といって、朝のお勤めをしない日が月に2回あります。
しかし、そのような時でも修行道場では当番の人が一人でお勤めをしますから毎朝になるのでしょうか。それと同じように、おてらはみなさまのご先祖様をお預かりしていますから、朝お勤めが出来ない時は午前中や夕方、一日に一回は必ず位牌堂でお勤めを致します。私が24時間以上いない時には、寺族が線香だけは絶やさないようにお参りしたり、小僧が練習を兼ねての怪しいお経ですが心を込めてお勤めしています。
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おしょうさんのアタマって、自分で剃るのですか? |
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はい、そうですよ。 |
多くの方がそうだと思います。例外には、有髪の方や床屋さんで剃ってもらうという方の話も聞きますが。
臨済宗の場合は「四九日」(しくにち)と言って4と9の付く日(ex.4 9 14 19 24 29と月末日)は剃髪する決まりとなっています。ですから5日に1回はアタマを剃るという事になりますね。修行道場では、ペアになってお互いに剃り合うというのが原則となっています。和カミソリの一本刀で、湯飲み茶碗一杯の水で剃ってしまいます。書くのはカンタンですが、剃る方も剃られる方もたいへんです。実際に剃られてみると痛いの何の。。。
現在は寺に戻っていますので、四九日以外でも葬儀の前とか「おしゃれ」をする時は自分で剃ります。和尚は、T字型で使い捨ての一枚刃を使用しています。多くの方は替え刃タイプのものを使用されているようですが、出張の時ホテルの使い捨てタイプを使用した時の「切れ味」に惚れ込んでしまいました。
おしょうの推奨品は、貝印のヤングTです。
「おしょうさんの便利グッズ」に入れたいくらい都合がいいです。堅い刃で、使い捨てせずに切れなくなるまで使います。(剃髪にして5回ほど)使い捨てタイプは環境に優しくないと思われがちですが、ここまで使えて刃とグリップの分解も容易ですので分別して廃棄しています。
なれた人は鏡も使わずにきれいに剃り上げますが、おしょうは鏡は使います。しかし、後ろ側は手探りでも完璧に剃り上げますよ。これも、道具によりけりでしょう。
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おしょうさんはいいなあ、税金がなくって。 |
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とんでもない!! 一国民としてしっかりと納めさせて頂いてます。 |
私たちも「宗教法人 長福寺」という会社の一社員です。たまたま和尚は代表役員をしていますが、毎月の給料取りです。みなさんから頂いたお布施には直接税がかかりませんが、いったん宗教法人に入ったお布施の一部は私たちの給与として支払われます。そこに源泉税が発生するわけです。
その他、寺自体にも収益事業の収益にはしっかりと課税されます。もっとも、一般の会社よりも若干税率は低く設定されていますけど。それに、境内地以外にかかる固定資産税もバカになりません。
現在、おしょうは月給制でボーナスなし。
割合で言い表すと、1万円のお布施を頂くと1250円が和尚の月給になる計算、あとの8750円は全て寺の維持管理に使われています。
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